気象予報士と行く社会科見学

あれから4年…今、防災・減災の未来を考える。

M.R | 対象月: 3月 | 更新 2015.3.17
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失われた町 復興へ!

宮城県女川町では2015年3月21日、復興の第1段階を宣言する「まちびらき」が行われました。
中心市街地の顔となるJR女川駅は、かさ上げした地盤上に再建され、石巻線は4年ぶりの全線再開です。
そこで3月17日、復興状況を確認すべく女川町へ行ってきました。

海陸の入り組みが激しいリアス式海岸。
その湾奥にあるのが、津波被害が甚大だった街のひとつ牡鹿郡女川町です。

日本有数の女川港を東に望む女川町立病院の駐車場付近から見た風景からは
谷状の市街地が津波で更地化し壊滅状態のままであるということがわかりました。
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高台の上に建つ女川町立病院には、その1階部分に津波の記録が記してあり、
当時、かつてない高さ16m程の津波に襲われたことが伝わってきます。

市街地から高台へは比較的近い距離にあります。
それにも関わらず、死亡率が非常に高いことから、
「津波では逃げ遅れず、とにかく高台へと早期避難すること」が大切だとわかります。
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そんな中、仮設店を構え女川丼を振舞ってくれる店がありました。
三陸沖は三大漁業で魚の質が高く、非常に美味しかったです。
原発事故による風評被害もほとんどなくなってきているそうで
笑顔と元気を取り戻してきている印象を受けました。

失われた命 忘れない。

次に、石巻市大川小を視察してきました。
集団で河川堤防近くへ避難する途中、すぐ側を流れる北上川からあふれた津波に飲み込まれ
多くの方が死亡、行方不明となりました。
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窓サッシの曲り具合や屋根の綻びから、
津波がどの方向から、そしてどの高さまで襲ってきたかが伺えます。
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しかし、大川小学校には裏山があります。津波を免れることが出来た裏山ではなく、
どうして危険な河川堤防近くを避難先に選んだのかと問題視されていました。

大川小は津波の被害に遭ったことがない地域でした。
「過去の事例にとらわれず、防災に対する危機意識を高く持つこと」
そして、このような悲劇が二度と繰り返されないように教訓として
「再発防止や防災のあり方を改めて考えていかなければならないこと」を痛感しました。

世界で災害に立ち向かう もう一度考える5日間

2015年3月14日~18日、仙台市では日本をはじめ世界の防災に関する最新の課題や知見を集約し、
認識を深め、次世代に伝えていくことを目的とした国際連合防災会議が開催されました。

会議の中で、震災時に屋上にSOSを書いて助かったという事例が紹介されていましたが、
震災時の情報環境は最も大事で、とりわけ、通信は命のライフラインです。

情報を発信する立場にある人においては、その重要性を再認識し、
情報を受け取る立場にある人においては、自分で判断する力を養う必要があります。

防災・減災を考えるにあたり、インフラ整備や技術、製品の研究や開発も意義のあることですが、
「自分達の未来を世界とともに各自が考え学んでいくこと」が何よりも重要だと感じた5日間でした。
参考資料・URL
女川町公式ホームページ
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/ayumi.html

ダイヤモンドオンライン
http://diamond.jp/articles/-/48702

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